@チャイハナおしまいの日。山猫さんとマスターと。
光が丘チャイハナさんでの展示が終わりました。お運びくださったみなさま、ありがとうございました。
最終日、搬出を終えて、山猫としやさんとマスター吉村さんとよもやま話。吉村さんから「いまの若いひとは『希望』ということばをどう使うのだろうか? それを聞いてみたかったのです」と。
わたしは団塊世代の山猫叔父さんやその世代よりやや上のマスターよりは年少であるけれど、「若い人」の範疇には入らないし、どう答えたらいいものかなかなか思いつけませんでした。
マスターやとしやさんが「若者」として生きて来た時代は、今日よりは明日、明日よりは…と、常に前へ前へ、大きく、新しく、より良くなる、という価値観があたりまえだった。その経験で今の若い人を見ると、自分たちの時代といかに違うか、と唖然とする。けれど、明日が、未来が、より良くなるという価値観に覆われていた自分たちの時代こそ特殊な時代で、たとえば、平安時代に生きたあるひとりの農民が、そういう価値観を抱いていたとは想像できない。「今日が無事過ごせれば、明日も同じように無事であればいい」、そう思って生きていたのではないかと。
何年か前に、わたしと同世代の友人が「いいことなんて起こらなくていい。悪いことさえ起こらないなら」と言っていたことを思い出しました。そういうわたしの世代は、大学~大学卒業~20代半ばがバブルにかかっていて、親や学校に囲われていた10代の世界から放たれたちょうどそのときに、ぷいっと世界中どこにでも行けなんでも買えるような国になっていた日本に生きていて、たぶん、どこかうっかりと、等身大の自分を見失って浮かれていたような気がする。(少なくともわたしは、うっかりしていたのです。)
そしてまた、ワインも話もすすんでゆき、たとえば最古の文明とされているメソポタミアやらシュメールやらから現在までの時間は、10万年前とされているホモサピエンスとなってからこれまでの時間から見ただけでも、どれほど短いものか。文明という範疇に入れていないそれ以前のはるかに長い長い時間を、もしかしたら人間は「ああ、今日の無事が明日も続くように」と祈ることさえなく生きて来たのかもしれない、と。
もちろん苦しいとかたいへんだとかそういうことにも面して。だけどわきあがるように楽しく、うれしく、わくわくしながら生きていたんだろうと。そこから、今もアマゾンに暮らす少数民族、ピダハンの話になっていったのですが、それはまたいつか。
賢治の詩が浮かぶ。
「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/・・・・・・・・・・・これらについて人や銀河や修羅や海胆は/宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら/それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが・・・・・・・おそらくこれから二千年もたつたころには/それ相当のちがつた地質学が流用され/相当した証拠もまた次次過去から現出し/みんなは二千年くらゐ前には/青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ/新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を発掘したり/あるいは白亜紀砂岩の層面に/透明な人類の巨大な足跡を/発掘するかもしれません・・・・・・」(「春と修羅/序」)