伊勢型紙とインカの石積み
少し前まで三菱美術館で型紙展をやっていた。展覧会のタイトルは「KATAGAMI」で、日本の伊勢型紙が世界のデザインシーンにどれほどの影響を与えてきたかを紹介する構成になっていた。19世紀末から西洋美術へ顕著な影響を与えた「ジャポニズム」。今までも浮世絵と印象派、琳派とアールヌーボーの関係などをとりあげてそれを検証する展覧会はあったけれど、「型紙」もまた、同様の役割をしっかり果たしていたことを知った。
1880年代だったか90年代だったかの、イギリスはリバティ商会の通信販売カタログに、「お手軽でエコノミーな壁面ステンシルにいかが」と、日本の伊勢型紙が20枚セットで売られている。そのリバティ社の綿ローンプリントも、ウイリアム・モリスも、ティファニ―も、villeroy&bochも、あれもこれも、とにかくほとんどすべてと言っても過言ではない数の有名欧米ブランドが、伊勢型紙のデザインに影響を受けている。しかも影響どころか、はっきり言ってまんま「パクリ」のようなものもたくさんあってびっくりする。
ガーデニング(←江戸の園芸技術)、アフタヌーンティー(←tea ceremony)、リバティプリント(←伊勢型紙)などは、それが成熟していく過程で日本文化の影響がかなり色濃いようで、イギリスのそういうものに強く惹かれてうっとりしている現代日本人は、つまるところ、やはり日本人だったということなのかな、などと乱暴にくくることさえできそう。(もっと遡れば忍冬唐草文様はシルクロード通ってギリシアから正倉院に来たんじゃないかってつっこまれそうですが、ここでは追求しないでね。)
さて、野口紺屋で精緻な古い型紙に見とれていると、野口さんが「ここまで彫れる職人は今はいないですよ」と言う。江戸時代に伊勢型紙を彫っていた職人は、たいていが浪人武士だったそうだ。彼らには時間がたっぷりあって、かつ食うには困っていなかった。効率的に稼ぐことに煩わされることなく、ひたすら精緻なものを完成させるために彫った。彫ること、完成させることに邁進できた。だからあれだけのものができたのだと。
クスコに行ってインカの石積みの説明をきいたときも、ガイドさんが同じようなことを言っていた。クスコの町並みに残るインカの石積みは、組まれた石の間にカミソリの刃も通らないほど緻密だ。切り出された巨大な石、そのひとつひとつはたとえば皇居の堀や二条城の石組よりももっと大きな石もあるのだが、それがぴたりと合わさっていて、石の間に薄いカミソリ一枚入らない、現代の技術では再現できない精密さなのだという。なぜそんなことができたのか。それは、インカ帝国がいわゆる共産的なシステムを持ち国民はみな生活の保障をされ、「稼ぐため」に働く必要がなく、時間と手間を費やしていつまでもどこまでも丁寧に、石の切断面を滑らかに整えていくその仕事を堪能できたからだと。
お金や時間を稼ぐために仕事をすると完成度に限界が出る、と言いたいわけではないのです。ひとたび「それを完成させること」が究極の目的となったとき、人の発揮する集中力や技術の高さや目的への執着の強さ、感覚の鋭さ、に驚いたのです。「職人技」とか「こだわり」とか「職人の誇り」とか、そういうものの源とでもいうのだろうか。
伊勢型紙の職人さんが型紙を彫っている動画がありました。かわうそ的にIPA(情報処理推進機構)のウェブサイトからご紹介します。型紙が彫られてゆく音もいいです。この音から察せられると思いますが、型紙は何枚も重ねた和紙に柿渋を塗って作られ、「紙」でありながら独特の感触を持ち、薄いけれども彫っていて小気味よい手応えがあります。
インカの石積みはこんな感じです。