四天王寺という場所 その1/能「弱法師」

 急に誘われて大阪に行った。京都も奈良も幾度となく行ったことがあるが、大阪はいつも通り過ぎるだけで(乗り換えとか、そのついでに梅田でごはんを食べたとか)落ち着いて特定の場所を訪ねたことがない。どこに行こうと思いめぐらせて最初に浮かんだのが四天王寺だった。

 「弱法師(よろぼし)」という能がある。友枝喜久夫さんがシテをつとめた「弱法師」をDVDで観て印象に残っていた。盲目の青年(姿からは少年と言った方がいいかもしれない)俊徳丸(しゅんとくまる)の物語。「出入の月を見ざれば明暮の夜の境をえぞ知らぬ。難波の海の底ひなく深きおもひを人や知る…」シテの登場とともに謡われるこの一節で、盲目の弱法師の悲嘆の境地がずしりと胸に迫り、とたんに引きこまれてしまう。

 俊徳丸は継母の讒言で父親から放逐され、嘆きのあまりに盲目となり四天王寺界隈で物乞いに身をやつしている。四天王寺の西門からはかつては大阪湾が見え、彼岸の日没時にはまっすぐに海に落ちる夕日が見えた。仏教に「日想観(じっそうかん)」という考えがあり、西に沈む夕日を拝むことによって西方浄土を実感する。この「日想観」を体感できるとして、四天王寺には彼岸の日、西門から夕日を拝む「西門信仰(さいもんしんこう)」があった。そのため彼岸には四天王寺は多くの参詣客で賑わう。ちなみにこの西門は石造りの「鳥居」で、神仏習合の名残をとどめている。

 弱法師(俊徳丸)も春の彼岸の中日、施餓飢の施しを受けるため四天王寺の境内へとやって来る。実はこの日、四天王寺で施餓飢をしていたのは、我が子を追放したことを悔いた俊徳丸の父親だった。俊徳丸はそうとは知らず施しを受け、梅の香を楽しみ、西門を拝み、高揚した気持ちのままに「目が見えるようになった」と感じる。しかし歩き回るうちに人にぶつかり、それが錯覚だと思い知る。よろけ倒れるおのれの姿を群衆に嘲笑され、二度とこのように「心を浮き立たせまい」と深く後悔する。日が暮れて人々が立ち去った後、俊徳丸を捨てた我が子と気づいていた父親が現れ、俊徳丸に「家に帰ろう」と手をさしのべる。

 「弱法師」はいわゆる夢幻能ではなく、霊が現れて供養され成仏する、という構成ではない。シテは生身の人間。自分の身の上を嘆きながらそれでも懸命に生きている青年が、春の彼岸の一日、梅の香りに酔い、生きてある官能の悦びに身を任せその高揚のままに盲目でありながら夕日を見たと感じるが、それも束の間、ふたたび「盲目の物乞い」という現実に引き戻され身の上を嘆く、という心の揺れを描いたものだ。ただ、最後に父親が迎えに来るという物語的結末は、夢幻能における成仏に通じる、救いの効果をもたらしているかもしれない。

 四天王寺を訪ねた日は3月18日だった。彼岸の入り日で、多くの参詣客で賑わっていた。「施餓飢供養」の貼り紙もされていた。思いがけず、「弱法師」の物語の時間設定に四天王寺を訪ねることとなった。

 悲嘆の日々を生きる盲目の青年に、突然訪れる「生きてある悦び」の瞬間と、そこからたちまちに「生きて行く苦しみ」に引き戻された絶望感、あるいは諦念。生きている限り、人間だれもにくりかえし訪れる、あの高揚と絶望の振幅。

 能の描きだす人間の心情のリアリズムには息が絶え絶えになる。だからこそ?、観てしまうのかもしれない。