幻燈会を終えて/朗読で思いだしたこと
幻燈会が終わりました。
このたびの幻燈会は、画面が変わるとき、「がしゃっ」と音の鳴る、アナログな幻燈機を小林さん自ら幻燈技師になっていただいて上映しました。
朗読係ときたら、ひとまえで朗読するのは二度目でした。(小学校などであてられたとき以外ね。)
はじめてひとまえで朗読したのは15年以上も前で、斎藤悦子さんの詩を読んだのでした。それは短い詩が数編で、わたしの持ち時間もたぶん20分くらいだったと思います。
このたびの18日の晩は、かわうそ兄弟商會の藍染めブックカバーにその詩句を彫った、「青森挽歌」と「春と修羅/序」、童話の「黄いろのトマト」をとりあげました。「青森挽歌」は長編詩で約20分、「黄いろのトマト」も童話なので約40分くらいかかります。のどが、声が、最後まで保てるか心配でしたが(しかも5日ほど前から不覚にも風邪気味だったので)なんとか掠れることなく読みきることができました。
でも実は、読んでいるというより、暗唱に近いものだったのです。文字は目で追っているのですが、一定のリズムに乗ると、暗唱に近くなります。練習で何度もくりかえし読んでいると、歌をうたうように、つぎからつぎへとことばが出てくるのです。
逆に言えば、わたしのようなシロウトが人前でなんとか読み切ろうと思えば、暗唱できるほど練習しておかなければ(あがり性なので)、とても読めなかったと思います。
というわけで、なんとか大きなミスもなく読むことができ、小林さんのスライドに合わせて朗読するという、たいへん楽しい至福の時間を過ごさせていただきました。幻燈会に来てくださったみなさま、ほんとうにどうもありがとうございました。これを機会に、宮澤賢治や小林敏也さんの「画本/賢治シリーズ」を読んでください。宮澤賢治のことばの世界、そこからインスパイアされた小林さんの絵の世界を、ぜひ、堪能してください。
はじめてひとまえで朗読したときのことを思い出したので書きとめておきます。そのころ、東中野に「ばってん房」という貝原浩さんのアトリエを兼ねたスペースがあって、月一回のペースでデッサン会をやっておりました。
かわうその叔父さんこと小林敏也さん、叔父さんの親友の故貝原さん、友人の清重さんや斎藤悦子さんの連れ合いである斎藤順正さんたちが中心になって、モデルさんをお願いして描いていたのです。
鍛錬を積まれた絵描きさんたちのさらさらとみごとに動く鉛筆の音を聞きながら、へなちょこのわたしは、いつもどこか狂ったデッサンを四苦八苦描きながら、その鉛筆の音ばかり聞こえる静かな時間がとても好きでした。
デッ サンが終わると酒盛りになります。15年くらい前のそのころ、斎藤悦子さんの詩に小林さんがイラストを添えた「食物図鑑」という詩のシリーズが、「自然食 通信」という雑誌に連載されていて、それが酒盛りの席で回りました。「そら、声に出して読め」と、気持ちよ~く酔っぱらっている貝原さんから声がかかり、 わたしはなんの心の準備もなくためらっている隙もなく、立ちあがって勢いで朗読しました。なんだかすーっと晴れるように光るように、気持ちがよかったこと を覚えてる。目でよむときとはちがう、ことばの感触。
「詩の朗読っていいな。今度、朗読会やろう」
という貝原さんのひらめき、思いつきで、ばってん房で朗読会をやることになり、斎藤悦子さんのほか、3,4人の詩人の方たちとともに朗読会をしたのでした。
かわうそ事務所どころでない、もっともっと知らない人ばっかりに囲まれて、どう読み終えたのか、それは思い出せません。
そして、これらの本もぜひ。
斎藤悦子「好きなひとの住んでる街へ」(花神社)
貝原浩「チェルノブイリスケッチ/風しもの村から」(パロル舎)