野口さんの染め仕事<高尾山>

 2011年節分。よく晴れてあたたかな一日でした。今年はじめての染めの作業をするため、現場まで出向きました。八王子の秋川街道沿いに面した野口染物店。かわうそのプロフィールでも紹介していますのでくりかえしになりますが、江戸時代から続く紺屋(こうや)さんです。

 現在の親方は六代目の野口汎(ひろし)さん。30代半ばの息子さんが跡を継ぐために現在修行に励まれています。かわうそは毎回、藍布をつくりあげるとき、このお二人に力を貸していただいています。

 さて2月3日。今日の作業は糊置きです。渋紙に彫った型と白布を持って糊小屋へ。糊小屋は間口が三間程度、奥行きが20メートル程度の土間づくりの建物 です。入口は摺りガラスの入った引き戸が数枚。その戸をガラッと開けて中へ入ると、手前から奥へと、13メートル強の長さの長板が寝かされています。長板 の巾は40センチ。ちょうど、反物が一反、広げられるサイズです。寝かされていると言っても地べたに寝かされているわけではなく、地面から50センチくら いの高さでしょうか。その高さにはたいせつな意味があって、反物をその上に広げて型を置いていくとき、13メートルある反物ものの端から端までいっぺん に、職人さんがじぶんの目の高さで見渡すことができ、型置きの狂いがないかを確認できる高さなのです。

 長板はもみの木から切りだされた一枚板。板にはあらかじめ、布を固定するための糊が引いてあります。霧吹きで板を湿らせ、巻かれた状態の反物を解きなが ら、拍子木のような、短い角材のような道具で布の表面を軽くこすり、板に貼り付けていきます。布はシワひとつなくぴしっ、と板の上に固定され、型を置いて 防染のための糊を木べらで載せる作業のあいだ、決して動いたり皺になったりすることがありません。

 かわうその布は、一度に一反という単位では染めないのでもっと短いのですが、同じように長板の上に固定して、「方程式」や「Yコンビネータ」などの文様を彫った型紙を載せ、木べらで防染用の糊を置いていきます。

 防染用の糊は、もち米と米ぬかと石灰からできています。もち米を炊くところから、すべて野口さんが作っています。型の彫り具合(文様の目の細かさ)や、その日の湿度や温度によって微妙に固さを加減します。

 糊はペースト状で、なんというか、ややゆるめのバター、うーん、マーガリンみたいな感じでしょうか。それを木べら塗るように型の上に置いていきます。巨 大な食パンの表面にバターを塗っていく感じ、と言えなくもない。糊を置き終わったら、注意深く型を外します。すると、白布のうえに、ピーナツバターのよう な色の糊が、くっきりと文様を描いている、というわけです。

 糊を置き、型を外し、なんどか繰り返すうちに、糊が型の裏側にまわってしまうので、型を水に浸し、馬毛のブラシでていねいに洗って糊を落とします。そしてまた、布に載せて糊を置き、型を外し・・・といった作業を繰り返すこと3時間。今日の糊置き作業が終了しました。

 糊を置いた布は長板ごと外へ出され、天日に干して乾かします。ここでしっかり糊を乾かさないと、染める時に糊が剥がれやすくなってしまいます。じゅうぶんに乾燥させるため、本日の作業は糊置きのみ。数日後、改めて染めの作業をおこないます。

 「お世話になりました」と挨拶して帰ろうとしたとき、親方が一枚の写真を見せてくださいました。高尾山のお蕎麦屋さんの幟。野口さんが数週間前に収めら れたものだそうです。濃い藍染の地に白抜きの文字。「名物」の二文字は、べんがらを使った紅色で染めてあります。重厚感のあるりっぱな幟です

 野口染物店から高尾山までは車で15分程度。昼ごはん抜きで作業に励んだ後なので、ちょうどいいと、そのお蕎麦やさんへ。豆まき行事のためか、たくさん の人で賑わうケーブルカー駅前の広場近く。「名物」と書かれたととろそばを食べ、野口さんの染められた幟をカメラに収めてまいりました。高尾山に行かれた 折にはぜひ、「紅葉屋」さんの藍染の幟とのれんをご覧になってください。