画本/宮澤賢治「蛙の消滅」
「『蛙の消滅』の画面になぜ原発を描きこんだんですか?」
「この作品を画本化する直前に東海村の事故があって、ゴム靴を手に入れる蛙の欲望と原発が象徴する人間の欲望が重なるように感じたから」
というわけで、かわうそ兄弟の叔父さんこと小林敏也さんの描く、画本「蛙の消滅」には、蛙たちが雲見をする野原に、原子力発電所や高圧電線が描きこまれています。
「蛙の消滅」は、「雲見」の風流を愛する蛙たちが、「栗のいがでもなんでもこわくない」、どこでも歩ける「ゴム靴」を手に入れる欲望にとり憑かれ、手に入れた仲間への嫉妬にとり憑かれ、雲見の境地からすっかり引き離された揚句、遂には…!という物語です。
物語の冒頭、三匹の蛙が雲見をする場面は賢治の真骨頂。まっさおな夏の空に湧きだす白い白い入道雲の描写に、蛙たちといっしょにうっとりとさせられます。雲を見ながら蛙たちは云います。「実に立派だね」「永遠の生命を思わせるね」「僕たちの理想だね」と。人間が花見や月見をするように、蛙たちは「雲見」をするのです。
雲見をするうちに空は少しずつ暮れかかっていきます。この場面は、画本では六ページが割かれ、それぞれ見開きで、三段階の夏空と雲が画面に広がります。そして、見開きごとに、少しずつ、ほんのりと、青色が濃くなっていきます。本のペイジの端っこを三枚重ねて見ると、青色のインキがグラデーションになって、すこしずつ濃くなっていくのがわかります。このさりげない色の演出は、敏也さんの真骨頂と言えましょう。
物語はこのあと、三匹のうちの一匹「カン蛙」(かんがえる)が、「腕を組んで考え」て、ゴム靴を手に入れることから、一転、風流な雲見の境地から遠のいていくのです。
宮澤賢治の原稿には、その多くに「異稿」が存在します。賢治は一度書いた物語になんどもなんども手を入れたため、ときには、まったく違った登場人物が出てきたり、場面が激変したり、結末が変わったりするのです。「蛙の消滅」も後に手が入れられ、結末がまったくちがう話になり、題名も「蛙のゴム靴」に変えられました。ネタバレになってしまうのですが、「蛙のゴム靴」では蛙たちは「消滅」をまぬがれます。欲望や嫉妬や画策の果てに消滅していく蛙たちを、賢治は後に救ったのです。
消滅と救済という対照的な結末に、絶望や虚無と背中合わせに生きながら、常に、現場を改変していく運動に身を投じないではいられなかった賢治の葛藤を感じます。
ともあれ、「雲見」の場面は、初夏から夏にかけての夕暮れどきの、あのなんともいえないいい匂いを運んでくれます。どんなに暑くても、「永遠の生命」を思わないではいられないような、あの匂いを。そして、その匂いに陶酔しながら、野原の端っこに描かれた原発施設のことを、もうわたしたちは無視できません。
画本「蛙の消滅」/スクラッチという技法で描かれた白黒の原画を、印刷用の版に起こし、色を載せ、ときに版画のように重ね、1ペイジ1ペイジ、その画面に吸い込まれるように作られた絵本です。雲の湧くひろびろとした夏空と、蛙たちが棲むつゆくさやすすきのかげや雨の朝の繊細な描写。初夏の昼下がりに、ぜひ。
小林敏也「画本/宮澤賢治シリーズ」
かわうそ兄弟商会のロゴマークのかわうそを描いている小林敏也による大型画本シリーズ。その一冊、一冊が工芸品のように作られた本です。
画本 宮澤賢治 作 宮澤賢治 37ページ
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パロル舎版在庫は終了しました。好学社から復刻版が出ています。書店等でお求めください。
1947年 静岡県焼津市に生まれる
1970年 東京芸術大学工芸科卒業
デザイナーかつイラストレーター
イラストレーションの周辺も視野に入れたトータルな絵本づくりをめざし、
青梅に“山猫あとりゑ”を営む
画本 宮沢賢治シリーズはライフワーク。
他に、詩画集【賢治宇宙】、【賢治草紙】、【賢治草双】、【ポラーノの広場】、
【黄いろのトマト】、出井光哉作【才造どんとごろさくざゑもん】がある。
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